あなたは人を見下していることってありますか?
と聞かれたら、いやいや特に見下していないはず、って思うでしょう。私も見下されることはあったけれど、見下しているつもりはないって思っていましたが・・・・これがかなりある、ってことがわかり、そこから人を見下すというエネルギーを手放すというか、そぎ落とすことをやっています。でもそれって、怒りや自己否定の感情を取り扱うよりもなんだか難しいのです。すぐには捉えにくいですよね。ですから少しずつなのですが解放してます。そうしていくと、人間関係が変わってくるなーを実感しています。
いつも人に上下をつけているということはありませんか?
いつも強い口調で上から何かを言う人って、ああ人を見下しているんだなって、わかりやすいです。ですが、自分がいつも特に上からものを言ったりしていなければ、自分が人を見下しているなんてあまり意識しないですよね。では、人を見下しているを言い換えて・・・
いつも人に上下をつけているということはありませんか?
と聞かれたらこれはすごくあるのではないでしょうか・・・
- あの人は自分よりできる人
- 自分はみんなより劣っている
- この人よりも自分はましな方だ
- あの人とこの人はレベルが違う
- あの人よりも上をいかなければ
- みんなの中でビリではなくて良かった
など無意識ですが、人と比べてまだいい方だなと安心したり、人と比べてまだまだだめだ、って焦ったりということって、誰もがよくあることなのではないでしょうか?私はずっとそうだったように感じます。
日本人は特に人に気を使うから、いつも人のことを気にして人がどうなのかをみているから、みんなそういうところはあるかもしれませんね。
そして教育システムや社会で、順位をつけてがんばらせる、上にのし上がっていくことがいいとか、落ちこぼれないようにすることとが無意識に刷り込まれているし・・・・
人と人を競わせて、戦わせるとか、人よりできない自分はだめと思わせられてるからすぐ自信がなくなってしまう・・・・というシステムの中に私達はいる・・・・なぜなら、その方が支配してる側はラクだからなのですよね。一人一人が自信満々で、自分自身を疑わないと、言うことをきいてくれなくなったりしてこのシステムの中に納まってくれないからです。
それから、お母さんがいつも人目を気にして、恥ずかしくないように、よくできる子だとみんなに思われるように、と育てられたとか、お母さんが、こんなに自分はがんばっている人・気の利く人だといつも思われていたい人だったことでも・・・・
人と比べる、人目を気にする、人に上下をつける
それが無意識に強くあり、いつもいい人をやることになり、誰からもいい人だとみられる自分がいつものことになり、本音を出さず自分が我慢すればいいという生き方をしていて、しかもそれにより苦しく生き辛くなることがあります。人に迷惑なんてかけないようにしていて、人に迷惑をかける人もゆるせない自分っていませんか・・・
上下をつける、見下す、見下される→対等・尊重・仲間の横の繋がりへ
日本人特有の気質やシステム、親からの育てられ方などで、人に上下をつけてしまうようになったのも無理もないことです。ですが、上下をつけて自信をなくしたり、自分を信じることもできなくて諦めながら生きていきたいでしょうか・・・・
いやいや、もう人目を気にしたくない・安心でいっぱいで、生きやすくなりたいですね
人を見下しているということに気づくこと
人に上下をつけないこと
というと、難しそうですが、今までは上司と部下とか、先生と生徒、上の立場の人と下の立場の人・・・・などというように、三角のピラミッド社会でしたから、人と比べて一喜一憂してましたが、上下ではなくて横に繋がるという関係で、見下したり見下されたりではなくて、尊重しあえる関係や、人目や人の反応にビクビクしなくてどんな自分もその特性のままで受け入れられると、安心して生きやすく、生きやすいから楽しめるというところに向かって、この地球は進んでいるのです!
まあまあ、それも今は、信じられないような気もするかもしれないし、きれいごとに感じるかもしれませんが・・・
そうそう、私達って、すごく小さなことでも誰かを見下していることってありますよね。人でなくても、部屋に虫がいたら捕まえて外に逃がしたいけど怖いから触れなくてなにかで叩いてやっつけちゃうってこともそうで・・・・・虫ならやっつけちゃってもいいとか全然疑問に思わなかったりします。そんな小さな見下しもあったりしてね。
それから、自分はパワハラされてなくても、目の前でパワハラに近いことをよく目にするというのも、自分の中に、人に上下をつけていたり、人を見下しているということがあるから、外側にみえることに投影されて表れています。
ですが今、怒りや強い自己否定に苦しんでいるのなら、自分が人を見下しているかどうかを気にするよりも、怒りや自己否定の感情に向き合うことが先だと思います。そこがすっきりしてから→
誰かを見下していることに気づいたり、軽蔑の感情というネガティブ感情ちゃんにも向き合ってみるのです。ただ単に見下すのをやめようとか、軽蔑することをやめようということではなくて、その自分に気づき、そこを感じることでそれが外れていきます。
そして人を見下しているということは・・・人を尊重できていないない(いつも上下をつけちゃう)ということですね
私は人を尊重できないという自分がいるので、そこを書き換えるのです。
私は人を尊重できない→私は人を尊重できる
に書き換わったら、人を尊重できる自分は、人からも尊重されるのです!人から尊重されるという前提がいつもある自分でいるとそういう現実になるから生きやすいです、人間関係がスムーズで楽しいです。
怒りや悔しさ、自己否定なども感じることで癒し、人を見下していることや上下をつけているということも外れていき、自分の中が分離してなくて統合していくことで、外側が上下関係より尊重しあえる関係の現実になりどんどん生きやすくなります。
上下の関係よりも対等、尊重のある横の繋がりは、人間関係がラクになり、人目を気にしてビクビクしないから、人が怖いということがないでしょう。
人が怖いと生き辛い
人が怖いまではいかなくても、人目が怖いってことはありませんか?人の反応が怖いという感じです。その怖さがなくなると生きやすいです。
そして悩みって、ほとんどが人間関係なので、人に安心できていたら生きやすいですよね。悩みにはお金の悩み、将来の不安というのもあるよって思うかもしれませんが、お金がなかったら働けばいいのですが、働くにあたって、面接でどう思われるかなとか失敗したら怒られるとかできない人と思われるかなとか、自分の得意なことで新しいことを始めたらお客さんがくるのか?お客さんの反応は?とか、結局、人目とか、人の反応で悩みます。将来の不安も、人間関係に安心していたら困ったら助けられるし、頼ったり頼られたりすることもゆるせたりして、やはり人間関係がどうかによって不安も減ってくるでしょう。
分離から統合へ 統合したら生きやすくなる!
自分のネガティブな感情はだめで、ポジティブな感情は〇というふうに、ネガティブとポジティブを分けてしまっていること、それが分離です。人と自分を分けて上下をつけている時も分離しています。
でも、ネガティブ感情ちゃんも愛し癒す、自分のネガティブなところもゆるすことで、ネガティブとポジティブ両方をまるごと一つになった自分で生きていく!それが統合で、その時、自分のネガティブが十分愛され癒されていたら、ネガティブ達は満足してるからネガティブのままではなくてポジティブなエネルギーに変わっているから自分が力を取り戻した素敵な自分で生きられるということです。
今までの分離している状態から、自分の内側が、分けないまるごとの自分になったら→自分の内側が投影されて、現実でも分離ではなくてまんまるで生きやすくなっていく。
分離から統合へ
生き辛い→生きやすいへ
上下関係→分かち合いを楽しむへ
人が怖くないと、感謝も自然にできて、思いやりも自然に自分の中から湧き出るから、ただ気疲れするとか、人間関係に傷つくのではなく、生きるを楽しむ・人の役に立つことを喜べる!
ですから、自分に向き合い、統合していくことは・・・・
生きやすくなる!ということです。
生きやすいと行動しやすい
行動しやすいと、自分のやってみたいことが体験できます
私達は体験する為にやってきた。そして、もう、軽やかにどんどん生きやすくなっていいのです!

生き辛い→生きやすいへ
自分の中を統合してネガティブの繰り返しを終わらせる
オンラインカウンセリング クリアピュール